私´と私─第2話─
I' and I - 2nd Episode -

 去る5月12日月曜午前9時15分、予約の通り例の大学病院に行った。例のATM機もどきの診察登録カード受付機でカードを入れて処理を済ませると当日のスケジュールが印刷されてある患者予約一覧が出てきた。担当医、予約日時、診察の内容などが区分けされて表示されている。診察の内容は時系列順に上から表示されていて患者はそれを見て何から最初にやるのか分かるようになっている。最初は血液検査が記されていたが指示を仰ぐ為受付に行った。
 そうしたら矢張り血液検査から行ってくださいと言われた。受付嬢は他の人になっていたので少しがっかりだ。血液検査はホルモンのレベルを見る為に毎回行わなければならない。
 検査の後糖代内 (「私´と私」参照) の待合所で待った。30分位して看護婦に血液検査の結果が出るまで時間が掛かるがいいかと尋ねられた。私はいいと答えてそのまま待った。私より後に来た患者が次々と呼ばれる中苛立ちを感じながら1時間半位経った後やっと私は診察を受けることが出来た。
 担当医は替わっていた。前回は老練な女医でできれば今回も同じであるよう希望したがゼミか何かで診察できないと言うことだったので内心がっかりしていた。しかしまあこの先生でもいいかという思いに変わった。今回の女医は若く20代後半から30代前半だった。顔は並で化粧気も無い極ありふれたスフィンクスの髪型をしていた。血液の検査結果によれば前回4月15日に計った遊離甲状腺ホルモン(F−T3、F−T4)のレベルが今回は落ちていた、薬の効果が出ているとの説明があった、特に「 遊離甲状腺ホルモン 」とは言わず「F−T3」、「F−T4」と言っただけであったが。因みに、 F−T3(free triiodothyronine:遊離トリヨードサイロニン) F−T4(free thyroxine:遊離サイロキシン) 及びTSH (「私´と私」参照) の私の受け取った測定結果は以下の通りであった。

甲状腺の検査項目

2003/04/15

2003/05/12

基準値

F-T3

H 13.71

H 5.97

2.26-4.15 pg/ml

F-T4

H 4.10

H 2.17

1.01-1.67 ng/dl

TSH

<0.01

<0.01

0.32-4.12 μIU/ml

 F−T3、F−T4は血中の甲状腺ホルモン結合タンパクの濃度に影響されずに測定できる。上表の数値はそれらの濃度である。F−T3の濃度は前回より50%以上、F−T4も50%近く下がっている。TSHの濃度は0.01未満でもっと欲しい所である。
 女医は無駄話もせず事務的に診察を進めていた。彼女は私に前話に紹介された、日本で唯一の甲状腺眼症に効く病院の紹介状を書いてあげますと言った。私は最近になってその病院に行きたくなっていたので有り難かった。後はパソコンで薬の処方箋の処理を済ませていた。  私はその間暇だったので肩の関節が痛いのですが副作用ですかと分かっていたが質問してみた。すると意外にも、いいえ、それは違いますよ、の答えが返ってきた。私は驚き沈黙した。確かに初診の説明には無い項目の質問だったので無理は無い。それはそれでいい。私は妙に納得した。質問攻めにするのは忍びない。軽い 肝機能障害 が出ることがあると言われた。今は自覚症状は無い。まあ肝臓だから判らないか。診療費は7380円と相変わらず高い。
 終わるとお昼を回っていた。前に行った薬局で薬を買い帰宅した。
 翌日辺りから何やら体のあちこちに湿疹が出て来た。首、二の腕、足、鼠径部、脇の下、背中などが無性に痒い。何をしてても苛々し、かかずにはおれない。抗ヒスタミン薬や抗アレルギー薬を飲むと治まると病院からもらった説明書に書いてあったな。何とかしようと思い近所の薬局で痒み止めの塗布薬を買った。塗布薬でもいいと女医が言っていたので。
 5月14日水曜午後2時20分、紹介された甲状腺眼症の眼科に行った。JR原宿駅竹下口を降りて竹下通りを歩くとテレビカメラが男の人をモデルに商店をバックに撮影していた。他に修学旅行生や黒人達が目に付いた。黒人はパンクな格好をして何か客引きのようなことをしていた。修学旅行生はつるんでベンチで楽しそうにお喋りをしたりきょろきょろしながら歩いていた。ここは東京であって東京でないな。相変わらず異様な活気に溢れていた。まあここを通るしかないので通るのだが気晴らしにはなる。普段見慣れぬ風景だから。女子供専門の商店街なので他には何も興味は無い。そこを抜けると3〜5分位で病院に着く筈だったが迷ったので10分位は無駄足を食った。
 病院は小奇麗な中層の建物だった。入り口は摺りガラスの二重の自動開き扉になっていて外からは中が覗けないようになっていた。中はひっそりとし大きなテーブルが2〜3台、その周りに樹脂製の四角い椅子が整然と並べられていた。受付でアンケートをテーブルの上で書いて治療方法などの説明書を受け取り2階へ案内された。アンケートは甲状腺の症状や既往症などを記入するようになっていた。
 2階の待合室はがらんとしていた。部屋が広いせいか何だかゆったりしていた。そこには女性の患者が8割を占めていた。10代〜20代の女性が結構いた。バセドウ患者の傾向と一致する。他に母親に連れられた男児もいた。皆一様に元気が無く俯き加減だった。私は眼帯をして行ったが眼帯をしている人はいなかったようだ。私のように片目が目立っている訳ではなく両目がそうなので眼帯をしていないのか、目立たないからする必要も無いのか分からなかったが…。
 待っているとすぐ呼び出され検査が始まった。視力、眼圧、視野など数項目行った。眼圧検査は目に空気を当てる検査で空気が目に発射される瞬間目を閉じそうになる。これは前話で私は体験済みである。
  視野検査 は暗室で行われた。スクリーンに碁盤の目の様な格子が写され線の、太い交点が縦横夫々3マスおきに打ってある。その前にある装置に患者は顔をテープで固定し右にある操縦桿のようなものを手で動かすとそれに連動してスクリーン上で矢印が動くようになっている。患者は医師の言う通りに操縦桿を動かし矢印を移動させる。顔を固定しているので目しか動かせない。例えば左へ3マスと医師が言うと患者はその方を見て操縦桿を握って矢印を太い点の上に移動させる。格子の真ん中の点がホームポジションである。何回か指示の通り移動させていくうち私は格子の端まで来る。中々点が見つからないし奇麗に矢印が点の上に載ってくれない。それでホームポジションに戻って何回か試行させられた。視野が狭くなっているのかも知れないと思った。
 他に眼球を上下、左右、斜めに動かした写真をデジタルカメラで撮影( 眼の撮影 )された。又下の白目に赤い点の印を付けられ瞳孔を開く目薬を受けた。そして先に液の付いた細い紙のテープを両目の下瞼の間に5分程挟んだ。瞬きしそうになるのを抑えながら何とか耐えた。瞳孔の薬で半日は目がひりひりすると言う。家に帰って鏡を見ると言われた通り瞳孔が開いていた。だが余りひりひりしなかった。これは後で受ける眼底の検査かも知れなかった(どれが眼底の検査か知らなかったが)。
 その間診察室で間をおいて2回程検査や問診を受けた。見ると若い女医だった。歳は件の大学病院の女医と余り変わらない様だった。おお、しかしぐっと息を呑むような美人。ラッキー。一昔余り前に流行っていたようなセミロングの後ろをカチューシャで纏めたような髪をしていた。何か顔がテレビで見たことのある人に似ていた。最初にここへ入った時は女医は紹介状に同封されていた検査結果だと思うがそれを見ながら、すごいですね、すごいですねと何度も独り言のように呟いていた。独身だろうか。そしてTRAb (「私´と私」参照) の簡単な説明と和訳を早口で言った。私は当然のように頷いた。ここまでは学習済みだったので。
 女医は 眼底検査 を受けたのか私に尋ねた。ぼうっとしていたせいか私は不意に「受けました」と答えた。デジタルカメラでの撮影と混同していたらしい。私はそもそも眼底検査とは何ぞやと思った。初めてだから無理も無い。質問するのも無理がある。面白い先生だ。しかし私の答えのいい加減さを察したのか部屋を暗くして検査を始めた。多分これが眼底検査か。私は検査装置の上に顔を載せ女医が対物レンズのような物を手に持ち、ここを見てと指示する。するとその対物レンズは移動し私の目はそれに追随した。その度に再び、ここ、ここと注意される。何所か関西訛りがある。見る対象は対物レンズではなくどうやら対物レンズで初めに指示された動かない空間だった。私はそれに目を固定しなければならなかった。対物レンズは紛らわしかった。左右片目ずつ検査を行い女医は目をスケッチしていた。検査している時まるで顕微鏡を覗いているように赤や緑の光を帯びた球体が目に入った。よく見ると中央に何か点のような物が見えた。さっきの点だろうか。その周りに血管だろうか何か筋のような物が何条も走っている。瞳孔の中の風景かもしれない。画期的だった。
 途中女医の後ろの窓際に男の医師が手を洗うか何かで姿を見せた。私の目は検査の為その男の方にたまたま固定されていた。彼は視線を感じ怪訝そうに何度も私の方を振り返って見た。別に見たくて見た訳ではない。誤解しないように。それとも私の目に余程凄みが効いていたとでも言うのか、このバセドウ眼が。勝手にしろよ。
 次回は MRI検査(磁気共鳴画像診断) をすると言われた。少しの間の後女医は「もっと説明して欲しいのね」と言って「眼窩には目の神経や筋肉があってそれらが腫れていないか調べるんです」などと丁寧に教えてくれた。私が気を取られ退室するタイミングを逸していたので。その後私は「ありがとうございました」と恭しく礼を言って退室した。
 受付で次回5月20日火曜午後1時半の予約(実際には予約の10分前に来院するように言われた)を取って目薬の イスメリン と処方箋を受け3930円の会計を済ませた。イスメリンは1日1回点眼、冷所(冷蔵庫でいいと言うこと)保存、有効期限3週間である。
 病院を出てすぐ左隣のビルの3階にある薬局で薬を買い帰路に就いた。薬局でアンケートを書く時に口述で書いてあげましょうかと店の人が親切に声を掛けてくれたが見えるので大丈夫ですと言い自分で書いた。眼帯の紐のせいで開いている目もろくに開けない。私が盲に見えるのも分かる。しかし情け無さ過ぎる。
 もうかれこれ4時半だった。眼帯を付けて外へ出ると歩き難い。時々眼帯の紐を目に掛からないように直さなければならないので邪魔な眼鏡を外しているのだがそうすると霞んで見える。まるで薄目を開けて見ているようだ。人ごみを歩く時はぶつからないようにゆっくり歩く。おまけに前にも言った様に視野も狭くなるので横も見え辛い。前を不意に横切られるとどきっとする。まるで老人のようである。
 小さな原宿駅の切符売り場は平日の夕方でも混んでいた。頼むからぶつからないでくれよ。大丈夫だ。皆、盲と老人は敬っているようだった、一応。
 

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